マーケティングは国益を救う!
「日本はひどいことをした。日本は朝鮮を植民地にしたではないか」といわれても、 謝るのはもうやめよう。
なぜなら事実と違うから。違うことを言われるのだから謝る必要はない。謝れば認めたことになる。日本的な謙譲の美徳という精神は海外にはない。コミュニケーション力を鍛えていこう!
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ロサンゼルスに特派員として赴任して間もない頃、ちょっとしたホームパーティに誘われた。
日米のジャーナリスト、それにハリウッドのお膝元という場所柄もあって映画の制作関係者、写真家や弁護士など結構な顔ぶれが並んでいた。
こちらが新顔と見て、主宰者側の米国人スタッフが話しかけてきた。ユダヤ系で大学を二つ出て今はシナリオ選定の仕事をしているという話だった。
いや別に、と否定すると、彼はかなりびっくりする。鳩が豆鉄砲を食らったようなという表情でこっちを見据えて「いや日本はひどいことをした。日本は朝鮮を植民地にしたではないか」という。
違うね、ともう一度否定する。朝鮮についていえば植民地(colonize)じゃない。あれは併合(annex)だった。米国がテキサスを手に入れるときの併合と同じだ。
それに日本の統治はうまくいった。少なくともフィリピンを植民地支配した米国に何かいわれるほど非道なことはしていない。
彼は真っ赤になって言い返す。
「米国はフィリピンを開化(civilize)させた。いいことをした。しかし日本は朝鮮で残酷なことしかしなかったではないか」。
お言葉ですが、と言い返す。
米国はフィリピン人に独立させてやるからと騙して宗主国のスペインと戦わせた。スペインが降伏すると米国は約束を反故にしてフィリピンを米国の植民地にした。
怒ったフィリピン人が抵抗すると軍隊を出して彼らの虐殺を始めた。彼らの家族も捕まえて家に火をつけ拷問して殺した。
米国スペイン戦争は一八九八年四月に始まり八月にはスペインが降伏しているが、戦争はなぜかその後四年も続き、一九〇二年に終わっている。
何をもって終わったかというとフィリピン人の抵抗が鎮圧された、もう米国の植民地支配を認めますといったときまで続いた。
しかもその四年間で米軍はレイテ、サマールの二つの島の島民を皆殺しにするなど「二十万人のフィリピン人を殺した」と上院の公聴会の記録に残っている。
朝鮮は違った。
T・ルーズベルトが朝鮮はもはや国家の体をなしていないとはっきり発言して米公館を閉じ、日本に任せている。日本は学校をつくり、電気を引き、工業を興して真の意味の civilization、つまりあなたのいう開化を行った。
そう説明すると、彼は「日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたのは事実だ」と吼えて、「もうこの話はやめだ」という。
日本をしたり顔でくさして、旗色が悪くなると、怒り喚く。
こちらも少々むかついたので、「百歩譲って日本が朝鮮をフィリピン並みの植民地にしたとして、それでも日本が悪いというのは、もしかしてあなたは日本が植民地を持つことを許せないと思ったのか。植民地を持つのは白人国家の特権と思っているのか」と畳みかけた。
彼は顔を真っ赤にして四文字の言葉を投げかけて、どこかに行ってしまった。
この男とはのちに再会する機会があった。彼はあのあと、フィリピンと朝鮮の歴史を調べてこちらの言い分が正しいのを知ったと、あっさり非を認めてきた。
そしてこう付け足した。
「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな申し訳ないという。そういう形で付き合いの主導権を取ってきた。反発されたのは今度が初めてだった」と。日本人には有効な「決め言葉だったのに」と笑っていた。
ここで注釈をつけると、彼のいう「日本人」は新聞記者であり、総領事館のスタッフ、つまり各省庁からの役人であり、一流企業の駐在員など世論にコミットする世界の人々だ。
そんな彼らは朝鮮併合の中身も近代史も何も知らない。特派員に至っては、そういうあやふやな知識で微妙な国際間題をさもまともそうに記事にしている。
あまりぞっとしない話だが、実はこの米国人の「決め言葉」と同じものを支那の南京でも聞かされた。
日本軍が南京を落とした後、六週間にわたって市民三十万人を殺した、つまり毎日七千人ずつ四十二日間、殺し続けたその証拠を留めるという「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」を見に行ったときのことだ。
展示場はいかにもおどろおどろしくつくられているが、もともと虚構の事件だから物証などあるはずもない。だから展示品は「日本軍の虐殺の証拠写真」とかだが、すでに東中野修道・亜細亜大学教授が解き明かしているように、どれもこれも検証してみれば同じ人物や同じ場所で演出されたいんちき物ばかり。
まともな実写は『アサヒグラフ』に載った日本軍兵士らの写真で、もともとのキャプション「農家から鶏を買った笑顔の兵」というのが「農家を略奪し農民を皆殺しにして家禽を略奪した日軍兵士」と変えてある。そう変えさせたのは江沢民だ。
当時の南京には市民は二十万人もいなかった。日本軍が入城後は平静に戻り、道端で支那人の床屋に髭をあたってもらっている日本軍兵士の写真などが当時の『朝日新聞』にも載っている。
中国が主張する毎日七千人ずつ「六週間休みなく殺し続けた虐殺」のそのさなかに報道斑員としてやってきた作家の石川達三はもちろん、そんな虐殺を見てもいない。
その後に執筆した『武漢作戦』では、そのときの南京の風景をベースにしたこんな下りもある。
野口伍長が一等兵に声をかける。
「ちんばをひいとるな。全快したのか」
「もう二、三日すれば全快します」
「今までどこの病院にいたのだ」
「南京にいました」
「南京は賑やかになっとるか」
「はあ、もうカフェでも何でもあります。ネオンサインがついております」
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知らないということは恐ろしい。無知が国益を損なっているのだ。場を読んで周囲の人間に合わせるということは優れた処世術の1つであるが、間違いは間違いと主張することで人間関係まで亀裂が入る、ということは海外ではほとんどない。だから、国内的な対処の方法と同一視して対処するのは間違いだ。
無知を改めず謝り続ける態度は間違っている。これを知った上でまだ謝り続けるのなら、それは何か別の理由で利害関係があるからだ。
ならず者に知性と理性をつけさせるという教育には時間がかかるもの。ましてや、同国民ではない、価値観の異なる方々にその知識を刷り込むことはわれわれ1代だけでは無理な話である。長期的な観点、というのは、何世紀にも渡る教育、広報・PR、宣伝・マーケティングが必要だ、ということだ。無知が原因で損していることほどばかばかしいことは無い。
マーケティングの力で国益も改善したいものだ。
巨大メディアの「騙しの手口」高山正之via「川村けんとのいいかげんにします」より